風水」と聞くと、一般的に占いやおまじないのようなものだと認識されている方が多いと思います。しかし、風水は自然界の地形や水脈などから良い環境を割り出すための環境学の一種として古代から大切にされてきました。今回は、風水に科学的根拠はあるのか、風水の起源や日本と風水の関係などについて詳しくご紹介していきます。

環境学と統計学の要素を取り入れた風水

風水とは、環境学や統計学のさまざまな要素を用いて、人々にとって住みやすい調和のとれた環境を判断するための方法です。占いやおまじないといった占術的なものに思われることが多いですが、研究者や学者の間では「科学」と位置づけられるようになってきました。

最近の研究では風水の科学的根拠を示すために、地理学、物理学、建築学の要素や統計学との関連性が明らかになりつつあります。

また、医学の世界でも心身の健康状態は住む環境によって左右され、環境と健康は大きな繋がりがあるという見解が示されています。現時点では、風水の科学的根拠はまだ確立されていませんが、環境学や統計学などさまざまな観点から分析を行っていることから、根拠が示される日も近いでしょう。

風水は中国特有の古代科学

風水は中国古代の科学と呼ばれ、何千年もの長い歴史を持っています。風水はもともと人々の繁栄、健康、幸運を予測するための手段として使用されていました。ここでは中国と風水の関係、風水によって発明されたといわれる羅針盤についてご紹介します。

中国での風水の起源

「風水」という言葉は、晋の郭璞(かくはく)によって伝えられた「葬書」が初出だと言われています。

「葬書」によると、「気は風に乗れば則ち散り、水に界せられば則ち止る。古人はこれを聚めて散らせしめず、これを行かせて止るを有らしむ。故にこれを風水と謂う」と書いており、これが風水の語源となっている説が有力です。この文章を分かりやすく読み解くと、「自然界にある気は風が吹けば散るものであるが、気は水で集めることができる。風で散った気を水で集める方法を風水という」といった意味になります。私たち人間にとって、風に吹きさらされる場所というのはあまりよくありませんよね。そのような強い風を防ぐためには背後に高い山があればよく、さらに前面に水があれば人々や動物が住みやすい土地になるという考えが風水なのです。

この風水の思想は唐の時代に盛んになり、陰陽五行を取り入れて進化していきました。そして宋の時代には羅針盤が登場して、方位で吉凶を占う今の風水に近い形に変化を遂げていきます。発展した風水は日本などのアジア各地に伝来し、軍学や建築、都づくりに用いられるようになりました。

羅針盤の発明

中国の四大発明といえば、「火薬・紙・印刷技術・羅針盤」がとても有名です。その中でも、羅針盤は風水と深い関係があります。

羅針盤は「地理」のために開発され、地理は地相占い(風水)と密接な関係があったとされています。羅針盤ができた当初は、磁力を持った針を埋めた木を水に浮かべて方位を知る簡単な道具でした。

しかし、風水と結びついた羅針盤は、改良と発展を重ねて現在の姿になったのです。このような経緯から中国に羅針盤の発明を促した風水は、研究者の間では古代の科学と位置付けられています。

日本における風水とは

かつて風水は中国や日本で政策や都市作りに利用され、山や川の配置、地形から気の流れを読んで、気のパワーを効果的に生活に取り入れるという地相術として人気でした。今でも、風水を用いて作られた街並みが各地に残っています。

たとえば、日本でいうと京都や東京にもその名残があることが知られています。下記で日本と風水の関係について、詳しくご紹介します。

日本に造られた風水都市

古代日本の最後の宮都として建設された平安京は、日本に造られた風水都市として有名です。

もともと平安京は、風水を用いた中国の長安城を模して建てられました。遷都する場所を決める際に、古代中国の教えに沿って風水的に良い京都の土地が選ばれました。そして平安京を災いや怨霊などから守るために、東西南北を守る「四神獣(北の玄武、南の朱雀、西の白虎、東の青竜)」を神社に祀りました。

京都の街は、結界を張り巡らすために寺社やパワースポットが多く存在しています。京都は風水における理想の地とされ、計画的に建設された風水都市なのです。

日本で用いられている風水

現代の日本で用いられている風水は、「家相」と呼ばれるものに該当します。

家相とは、「土地や家の間取りから吉凶を見るもの」で、中国から伝わった風水が元になって日本に広まった思想です。家相には日本独特の鬼門思想があります。

鬼門は文字のごとくあまり好ましくない事柄に対して用いられる言葉で、避けるべきものとして考えられています。鬼門と正反対の方角に位置する裏鬼門も同じく、縁起の悪い方角とされています。墓や環境から吉凶を判断する中国の風水とは違い、家相は日本独自の風水とも言えるでしょう。

環境を判断するための風水

住んでいる環境の良し悪しや方角の吉凶などを判断するために風水が用いられますが、風水には「巒頭法」と「理気法」の2つの系列があります。

どちらか一方が大事というわけではなく、この2つを総合的に掛け合わせることで大きく運気をアップさせることができます。バランスよく2つの風水を取り入れて、開運に繋げていくことが大切です。

目に見えるものから判断する「巒頭法」

巒頭法(らんとうほう)とは、地形や住居の周辺環境、建物の形状など目に見えるものから吉凶を判断する方法です。巒頭風水では大地における気の流れを重視して、良い気の溜まっている場所に都市を建造するべきという考え方です。住む土地が良ければ子孫が繁栄するとされ、「山」と「水」の配置がバランスの取れている場所が良い土地と考えられています。

巒頭法は住む土地だけではなく、インテリアの中に風水を取り入れて運気をアップさせるという私たちがよく知っている風水にも用いられています。おおまかに分けると、「家の外では山や川などの地形」を重視し、「家の中では家具などのインテリアや家電」を見て吉凶を判断します。

目に見えないものから判断する「理気法」

目に見えるものから判断する巒頭法に対して、方位や気の流れなど目に見えないものから判断する方法を理気法(りきほう)といいます。理気法では「方位には気が宿っている」という考えがあり、方位それぞれに特有の気を持つと言われています。

吉方位と凶方位があり、個々の生年月日やその年によって方位が決められています。私たちがよく知っている恵方巻も、年によって吉方位が変わりますよね。

「西の方角に黄色で金運上昇」など、方位に合わせてラッキーカラーを取り入れることも理気法になります。

子孫の禍福を左右する風水

風水にはさまざまな分類方法がありますが、よく知られているのは「陰宅風水」と「陽宅風水」です。特に陽宅風水は現代の私たちにも馴染みがあるもので、住む場所やお店、会社を建築する土地の吉凶などを判断するために使われています。陰宅風水と陽宅風水は違うもののように感じますが、実はどちらも子孫の繁栄を願うためのものだったことはご存じでしょうか。

ここでは、陰宅風水と陽宅風水についてご紹介します。

子孫繁栄のための「陰宅風水」

陰宅風水とは、亡くなった人を埋葬するときに用いられるお墓の風水です。中国では「亡くなった先祖をどこに埋葬するか、お墓の向きはどうするか」といった、お墓の環境が家族や自分の子孫に大きな影響を与えるという考えが信じられています。

たとえば、古代中国では権力者同士の争いが起きると敵の先祖が眠る陵墓を破壊することが戦略のひとつとされていました。先祖の陵墓を壊すことで、敵の権力者にも悪い影響が起こると考えられていたからです。

秦の始皇帝が眠る陵墓は、山を背にして北に河口がある場所に造られたとされ、まさに「風水」の思想に基づく地に築かれています。しかし、その始皇帝の陵墓も項羽によって壊されています。それほど、陰宅風水は中国にとって重要なものだったと言えます。

生きている人が住む「陽宅風水」

先祖を埋葬するお墓を「陰宅」と呼ぶのに対して、生きている人間が住む場所のことを「陽宅」といいます。陽宅風水というのは、後になってから作られた風水です。

もともと風水は先祖をどこに埋葬するかを判断して子孫の繁栄を願うことを目的としたものでしたが、唐代に入ってからは徐々に風水は形を変えていきます。王宮と国民の人々の安寧と繁栄をもたらすために、都の建設に使われるようになっていったのです。それは中国のみならず、アジアなどの他の国にも伝播することになります。

中国の長安、日本の平安京、韓国の京城が風水を使用した有名な例とされています。そこから少しずつ時代が流れ、都づくりに使われていた風水は私たちの住む住宅にも応用されるようになりました。現代の陽宅風水は、住宅、会社、ビルなどさまざまなところに取り入れられています。

まとめ

中国古代の科学と言われる風水は、環境を改善することで成功や幸運をもたらしてくれる環境学として現代でもさまざまな形で実践されています。風水は私たちの身近にあり占いやおまじないのように思われることもありますが、風水の特定の原則には科学的根拠があると考えられています。環境を判断するツールとして、先人たちの知恵が集まった風水をぜひ生活に取り入れてみてくださいね。

SNSでトレンドネイルデザイン配信中!
フォローお願いします◎