ネイル好きなあなたに質問です。いつも私たちが使っているネイルは、いったいいつから使われ始めたのかご存じですか?
実はボトルに入った速乾性のネイルポリッシュ(ネイルカラー)は、一般に販売されてまだ100年にも満たない歴史しかありません。しかしネイルの起源は古く、古代エジプト時代までさかのぼります。ここではネイル好きなら知っておきたいネイルの歴史を前編、後編に分けて紹介します。これを読めば、きっと誰かに話したくなるはずですよ。

1.はじめに

ネイルは爪のケアも含まれますが、ネイルの歴史を語る上で「なぜ人は爪に色を付けるのか?」ということから始めていきましょう。ネイルの歴史を紐解く前に、先に化粧の歴史について触れ、そして時代の移り変わりと共に変容していったネイルについて、世界の歴史(前編)と、日本の歴史(後編)に分けて紹介します。今回は【前編・ネイル世界史】です。

2.なぜ人は化粧するのか?

そもそも、なぜ人は化粧をするのでしょうか。化粧の歴史は古代エジプト時代にさかのぼります。歴史的な資料に基づくと、紀元前1万年前には既に赤、黄、黒などのボディペインティングが施され、紀元前4000年前にはアイライナーで目の周りが縁取りされるようになっています。歴史の授業で私たちが目にしたことがある、古代エジプトのミイラや壁画に描かれていたあの黒々と縁どられた印象的な目は、このアイライナーを使って描かれたものです。このアイラインには、機能的な側面と、魔除けなど呪術的な側面、社会的地位の象徴という3つの意味があったそうです。

【機能的】

アイライナーは鉛を主成分とした毒性の強いコールで作られていました。このコールは涙や目の周りの水分と混ざると、抗菌作用が得られたそうです。そのため機能的な側面として、抗菌による目の保護目的がありました。また強い直射日光から目を守るための日よけの効果もありました。日光は黒いところに集まるので、目の周りを黒くすることで瞳は守られます。

【呪術的】

呪術的な側面では、「邪眼(じゃがん)」から身を守るためのものという効果がありました。邪眼とは、悪意を持って相手を睨みつけることで相手に呪いをかける魔術のことです。王や妃はもちろんのこと、人々の前に立つような高い位に就いている人は、この邪眼から身を守る必要がありました。

【社会的地位の象徴】

社会的地位の側面としては、そもそもコールを作るには、マラカイトなどの貴重な半貴石が必要で、高貴な立場の人間以外は入手困難でした。つまり化粧をしているということはステイタスであり、美しさや強さを一般に知らしめるための手段でもありました。

このようなことが、人が化粧を始めた原点にあるのです。古代エジプト時代には、化粧のほかにも既にスキンケアのような美容法や、ヘアカラーなどもありました。それでは続いて、ネイルの歴史をみていきましょう。

3.古代エジプト時代のネイル

ボディペインティング

古代エジプト時代のネイルの記録は、紀元前3000年くらい前とされています。歴史資料によると全身に行われていたボディペインティングの一環として、爪も彩色を行っていました。このころは太陽の赤血の赤生命を象徴する赤という意味で、赤色は神聖な色として尊ばれていました。当然ネイルにも赤が使われていました。

この彩色はヘンナ(ヘナ)」という植物の花の汁を使って行われていました。ヘンナはミソハギ科の植物で、和名では「指甲花(シコウカ)」「ツマクレナイノキ」「エジプトイボタノキ」と呼ばれ、タトゥーの染料として古代から使用されていました。ヘンナには、抗菌性作用があり、抗ウイルス効果によって感染症を予防する効果もあったため、爪を清潔に保つために男女共にネイルを行っていたという記録もあります。ちなみにヘンナ(ヘナ)は歴史上だけではなく、現代でも染色用途で自然派のヘアカラーとして使われています。

また階級が高くなる程、真紅に近い濃い赤色が用いられ、王と王妃だけが濃い赤を使っていました。下の位の人たちは、薄い赤しか使用を許されませんでした。爪先の色が階級を示す一つの道具になっていたと言えます。

4.ギリシャ・ローマ時代のネイル

紀元前8世紀ころのギリシャ・ローマ時代になると、ギリシャやローマでは独立した都市国家が生まれ、それぞれに様々な文明が発達しました。
上流階級の中では「マヌス・キュア」という言葉が生まれ、今でいうネイルが流行し始めます。マニキュアという言葉はラテン語の「マヌス」(manus=手)と「キュア」(cure=手入れ)からきた「手の手入れ」の事で、ペディキュアは「ペディス」(pedis=足・キュア)が変化したもので「足の手入れ」を指します。現代のネイルの概念がこのころから広まりました。

当時のギリシャでは控えめな生活が望まれ、服装もシンプルで健康的な美を理想としていたので、装飾的な美は求められていなかったようです。そのような背景から、美容の延長線に手のお手入れとしてのネイルが流行したと考えられます。

5.中世ヨーロッパ時代のネイル

公衆浴場の洗浄サービス

中世ヨーロッパ時代(5〜13世紀)になると、ハンマム(Hammam)と呼ばれるモロッコ式サウナでは、クリームを用いて爪の手入れが盛んに行われるようになりました。クリームをつけて爪を磨き、ほんのりピンク色になるように仕上げていたようです。ハンマムは今のスパの元祖と言われる公衆浴場で、スチーム式のサウナで汗を流し、あかすりや剃毛、脱毛などのサービスを受けるなど、全身の美容やケアを担う役割を果たしていました。現在でもモロッコにはいたるところに歴史を残すハンマムがあります。

中世ルネサンス時代(14〜16世紀)になると、一気に演劇や建築などの文化や芸術が発達し、中でも舞台芸術が化粧の文化を高めるようになります。
オペラの起源となるバレエが創作され、役柄を演じる上で演出としての化粧や、指先の演出が求められるようになってきました。遠く離れた舞台の上でも、観客には一目で役柄が伝わるようにする必要があったのです。このようにして装飾としてのネイルが花開きました。

ちなみにこの頃は、歴史的に空前の美白ブームだったようです。透けるように白い肌ほど儚げで美しいとされ、さまざまな美容法が生み出されました。有害な鉛や水銀入りの白粉(おしろい)を大量に塗り、青い血管を描き、血色感を消すために吸血性ヒルに血を吸わせるなど、驚くような美容法が流行しました。美しさを追い求めるためには、危険なことも顧みないという時代でした。

6.近代19世紀以降のネイル

手元イメージ

19世紀になると、欧米では一般女性の身だしなみとしてネイルケア(主に手のお手入れ)が普及し始めます。やすりをかけた後に蜜蝋(みつろう)などを使い、セーム皮で磨く方法などで、透けるようなピンク色に爪を磨き上げ、健康的な美しさを表現するようになります。職業としてマニキュアリスト(ネイリスト)が登場したのはこのころで、ネイル道具箱も販売されるようになりました。実際には非常に高価なものだったため、まだ一般的に売れるものではなかったようです。

20世紀になって、爪に輝きを持たせるものとしてマニキュア用のニスが初めて登場します。1923年に自動車の塗料として速乾性のラッカーが開発され、その副産物として1932年にネイルラッカーが発売されました。現在のネイルポリッシュがようやくここで誕生したのです。発売当初はピンクなどのナチュラルカラーが主流でしたが、社交界や女優たちの間では深紅のネイルが流行し、次第に今のような華やかなカラーが揃うようになっていきました。

1970年代になると、アメリカでは映画の都ハリウッドのメークアップアーティスト(特殊メークアップ)チームが、歯科材料であるレジンを使ったつけ爪(ネイルエクステンション)を考案しました。つけ爪には華やかなネイルアートが施され、映画を通じて瞬く間に一般的に知られるようになりました。
ネイルチップにネイルアートを施すことで、爪が弱い人や、爪を伸ばせない人たちもネイルを楽しむことができるようになり、専門的な技術を競い合うようにネイルサロンが広まりました。現在の人工的に自由に長さを変えることができるスカルプチュアは、ようやくこのころに始まったのです。

7.まとめ

ネイルの歴史は古代エジプト時代から始まり、スパでのネイルケアを経て、中世ルネサンス時代に舞台芸術で装飾性を持つようになり、経済成長に伴って、自動車産業や歯科材料からネイルラッカーやつけ爪が生まれ、映画や舞台を通じて広く一般に知られるようになりました。ネイルの歴史について世界史を紹介しましたが、いかがでしたか?

次回は日本に焦点を当てネイルの歴史を紹介します。どうぞお楽しみに!

出典・参照:「JNAテクニカルシステム ベーシック」 NPO法人日本ネイリスト協会

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