1. はじめに

ネイルの起源は古く、古代エジプト時代までさかのぼります。しかしネイルポリッシュ(ネイルカラー)がアメリカで一般に販売され始めてから、わずか100年にも満たない歴史しかありません。日本においてはさらに短く、国産のネイルポリッシュが発売されたのは、わずか60年ほど前です。
ここでは「化粧」にまつわる歴史を交えながら、爪に施すケアやカラーの「ネイル」を前編・後編にわけて紹介しており、今回はいよいよ【後編・ネイル日本史】です。日本独自の歴史を一気に振り返ってみましょう。

2. 日本人にとっての化粧とは?

まず初めに日本人にとっての化粧の歴史から簡単に紹介します。
日本の化粧に関する記録は『古事記』『日本書紀』の中や、古墳時代の埴輪の顔色彩色から、赤色顔料を顔に塗る風習があったことがわかっています。3世紀に中国で編さんされた『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』によると、当時の日本人は、顔や身体に赤い色を塗って刺青(いれずみ)をしていたと記されています。これは魔除けなどの呪術的な意味合いに加え、集団の印と、装飾の意味があったと考えられています。

今のような装飾的な化粧へと発展したのは、大陸から様々な文化が伝わるようになった6世紀後半です。紅、白粉などの化粧品が輸入され、貴族階級には化粧が知られるようになりました。
その後、平安時代後期には、日本独自の化粧文化が生まれ、「お歯黒」眉抜きなどが行われるようになりました。江戸時代になると、鉛製白粉の製法が中国から伝わり、量産化が進みます。この頃には一般庶民も既婚者はお歯黒をし、白粉や紅を使った化粧を行うようになっており、その後次第に今のような化粧へと進化していきます。この続きはこのあと時代毎の変化として詳しく触れていきます。

3.特別な意味を持つ赤・朱色の歴史

日本で大事にされてきた赤のイメージ

なぜ古代の日本人は、顔や身体に赤い色を塗っていたのでしょうか。
日本では古くより、「赤」「朱色」に対して特別視する強いこだわりを持っていました。その理由は諸説ありますが、赤は太陽や血を表し、生命を連想させる色であると考えられ、死への恐怖や自然への畏怖の念が強かった時代、人々を護る呪力を持った特別な色と考えられていたからと言われています。面白いことにこれは日本史だけではなく、世界史でも同様で、歴史上「赤」は人々の生活に密着した最初の色でもあり、様々な危害を避けるために使用されていました。

赤・朱色が使われるのは、顔や身体だけではありません。歴史を振り返ると、世界最古の土器である縄文土器や、同時期に作られた木製の器に赤漆が使われていました。これは魔除けの意味と、食べ物の腐敗を防ぐ両方の目的があったようです。時の権力者の墓である古墳では、酸化鉄を原料とした赤の「ベンガラ」で絵が描かれているものも発見されており、同じく権力者の遺体を魔物から守る魔除けの意味で使われていました。

今現在にも残るものをみても、慶事には紅白の垂れ幕を飾り、赤い色の赤小豆(あずき)や赤飯を食べます。長寿を願い、魔除けの意味もあって、七五三などで赤い着物を子供に着せ、60歳の還暦のお祝いにも赤い衣服を身に着けます。また、神社の鳥居は水銀朱の赤で塗られているところもあり、木材を腐食から防ぐ役割を果たしています。この赤・朱色は魔力や災厄から中を守る意味と、神様の力を高める意味で使われています。

4. 飛鳥・奈良・平安時代の化粧とネイル

赤い着物の女性イメージ

それでは日本の歴史を振り返り、その時代に行われていた化粧とネイルをみていきましょう。
飛鳥・奈良・平安時代は、朝鮮半島や中国との交流が盛んに行われ、様々な文化を積極的に取り入れた時代です。鏡や香料、紅花(べにばな)などが大陸から運び込まれ、宮廷の女性は大陸風の化粧を行うようになります。692年には観成(かんじょう)という僧が日本で初めて鉛白粉(なまりおしろい)を作り、持統天皇に献上して喜ばれたという記録が残っています。化粧には「紅殻(べにがら)」という酸化鉄を主成分としたものが用いられ、貴族階級では額の中央や唇の両端に一種の飾りとして使用していました。その延長線上として指先も赤く染めました。これが日本におけるネイルの最初の歴史です。

また、ホウセンカとホオズキの葉をもみ合わせた染料で、爪を紅く染める「爪紅」(つまくれない)も行われていました。この染める方式のネイル「爪紅」は、後の江戸時代後期まで続きます。ちなみにホウセンカは別名「ツマクレナイ」とも呼ばれ、この花で爪に色をつけたことが花の名前の由来になっています。

平安時代になると、長い黒髪が美しさの条件となり、貴族階級の女性は顔を見せるのは“はしたない”とされ、華美な装飾はあまり行われなくなります。平安時代後期には、他国の模倣から日本独自の化粧へと独自の進化を遂げるようになります。薄暗い屋内でも肌が美しく映えるように、肌を白く見せる白粉を塗り、眉を抜いて額の上部に眉を描き、お歯黒(おはぐろ)を施すようになるのですが、残念なことに当時の化粧やネイルの詳しい記録はあまりありません。

5. 鎌倉・室町・戦国時代の化粧とネイル

紅花

武士が政治の実権を握り、鎌倉に幕府を開くようになると、質実剛健な武家文化の時代に移ります。この頃には武家制度や礼儀作法が整備され、化粧に関することも記述されるようになります。

室町時代になると、白粉や紅などを扱う職人が『七十一番 職人歌合(しちじゅういちばん しょくにんうたあわせ)』でも描かれるようになります。紅花(べにばな)を使った染色技術が中国から渡来したことで紅花栽培が盛んになり、化粧にも利用されるようになります。この紅を唇に塗ると「口紅(くちべに)」、爪に塗ると「爪紅(つまべに)」と呼ぶようになりました。紅花には棘があり、紅花の花を摘むためには、指に棘をさしながら下の方に手を入れて摘まなくてはなりません。そのことから紅花を末摘花(すえつむはな)とも呼ぶようになりました。

6. 江戸時代の化粧とネイル~赤・白・黒の時代~

赤・黒・白の女性

江戸時代になると、女性向けの礼儀作法も充実し、化粧の心得なども詳しく記されるようになります。当時の化粧は、赤(口紅、爪紅)・白(白粉)・黒(お歯黒、眉作り)の3色が中心でした。紅花は古くから衣類を染める染料としても使われていたのですが、江戸時代には化粧も広く一般庶民に普及するようになり、紅花の需要はさらに高まります。この紅花から採れる化粧用の紅は、生花の0.3%程度と少なく、「紅一匁金一匁(べにいちもんめ きんいちもんめ)」と、金と並べて語られるほど高価なものでした。そのため、爪紅に使う時にもわずかな量を爪に乗せ、薄く広げて大切に使われていたようです。

爪紅は、高価な紅花からだけではなく、ホウセンカからも作っていたようです。赤いホウセンカの花弁を杯に入れ、ミョウバンを加え花弁をつぶしながら混ぜ、骨でできた専用の針を使って爪に塗っていました。どちらも染料なので、乾いた爪紅は水で洗っても落ちないで長く楽しめました。ほんのり色づく程度に染める控えめなネイルだったようです。

7. 明治・大正時代の化粧とネイル

明治時代になると近代化が一気に進み、1871年には髷(まげ)を禁じた断髪令が出され、お歯黒も禁じられるようになります。日本独自の美の歴史から、西洋の化粧・美容法が導入され、現代に近いスタイルの化粧に大きく変わっていきます。化粧品はアメリカからの輸入品が殆どでしたが、次第に日本でも化粧品メーカーが設立され、日本人が使いやすいものが発売されるようになり、広く一般に普及していきます。

ネイルの歴史では、女性が多く集まる高級な美容室で、フランスから伝わったマニキュア術、磨爪術として爪を磨くケアが行われるようになりました。
その後この技術は美容室のサロンメニューに取り入れられ、現在のネイル技術の基本へとつながっています。この頃には女性向けの雑誌も創刊され、その中で美手法や美爪法などと翻訳されたネイルケアが紹介されたことで、次第に一般女性にもネイルが知られるようになりました。この頃には爪やすりや甘皮用ハサミが入ったお手入れ道具セットがヨーロッパやアメリカから輸入されて販売され、裕福で美に関心が高い女性たちの垂涎の的になっていたようです。

大正時代になると女性の社会進出が進み、化粧の目的にエチケットであるという考え方が広まってきました。1918年に初めて今普及しているスティック状の口紅が国産されるようになり、現在使われている化粧品に近い形状のものが増えていきます。

8. 近代日本のネイル

近代日本のネイルイメージ

昭和から近代は、一気にネイルが進化して広まった時代です。
ネイルの歴史としては1940年代にアメリカで普及していたネイルポリッシュ(ネイルカラー)が終戦後に日本に輸入されましたが、派手な色や光沢は、当時の日本女性にはあまり受け入れられずにいました。1946年になると日本古来の爪紅と同じような、爪の表面をほんのりと染めるようにつく口紅形状のネイルスティック「爪紅」が国産化粧品メーカーから発売されました。光沢がないナチュラルな質感で、さり気なく健康的に見えることから、多くの女性に受け入れられ大人気になりました。終戦後の貧しい時代でしたが、爪が明るくなると華やいだ気持ちになれると好評だったようで、その後日本で続々と発売されるネイル商品の先駆けとなったといわれています。

1960年代になると、国産化粧品メーカーから現在と同じようなピンク系や赤系のネイルポリッシュ(ネイルカラー)が次々と発売されるようになります。ファッションも欧米化が進んだ日本では、つやのある華やかなネイルも次第に抵抗がなくなってきていました。1970年代には、ピンク系や赤系だけでなく茶色、白など色のバリエーションも豊かになり、ラメやパール入りなども発売されるようになります。その後は細部のおしゃれにこだわる美意識から、ネイルアートも次第に楽しまれるようになっていきます。

1980年代にはいよいよ日本初のネイルサロンが登場し、1985年には日本ネイリスト協会(Japan nailist Association)が設立され、爪のケアやネイルアートを施す「ネイリスト」という職業も広く認知されるようになりました。1990年代にはネイル専門雑誌も創刊され、ネイルはいよいよ一般女性にとって身近なものとなります。そして2000年になってようやく溶剤を塗って硬化させるつけ爪「ジェルネイル」が登場し、ネイルアートがより一般女性に普及し、現在のスタイルのネイルへとつながっていきました。

9. まとめ

奈良時代から江戸時代まで続いた、染料による爪紅。明治時代に行われるようになったネイルケア。1960年代に初めて国産のネイルポリッシュ(ネイルカラー)が発売されるまで、日本の化粧とネイルの歴史を【後編・ネイル日本史】として紹介しましたが、いかがでしたか?ネイル好きな方はぜひ【前編・ネイル世界史】と併せてごらん下さい。