最初に成人式をしたのは名古屋!でも「成人式発祥の地」は埼玉県と宮城県!?

成人式の由来を知るにあたって、まずは最初に成人式が行われた場所が気になりますよね。元々子供を大人社会の一員として迎え入れるための儀式は日本各地で各々の方法で行われていました。
民俗学者の研究によると、その中でも現在の成人式の由来となるものが一番初めに行われたのは1933年愛知県名古屋市だと言われています。名古屋市の青年団が、満20歳になった団員を対象に成年徽章と大日本帝国憲法の小冊子を贈呈する式典を開催しました。

しかし日本で「成人式発祥の地」と称している地域は、実は名古屋市ではなく埼玉県蕨市宮崎県諸塚村の2か所です。
埼玉県蕨市(当時は蕨町)では1946年11月22日から24日の3日間をかけて地域の青年団が「青年祭」を行いました。当時の青年団長が「敗戦直後で希望を失った青年達が一人前の自覚を持てるように」という目的のもと、この青年祭の中で「成年式」を開催したのが由来とされています。

一方、宮城県諸塚村では、20歳の男性と18歳の女性を集めて、成人になるにあたって必要な教育を合宿で行う「成人祭」を1946年7月に行いました。こちらも由来は敗戦によって希望を失った若者たちから成人の自覚が失われていくのを憂いたためです。合宿は2泊3日のものが何度か行われ、保健衛生や農業経営の知識、県政についてなど生活に関わる知識が伝えられました。

現在のように国の決まりのもとで日本全国の地方自治体が成人式を行うようになったのは、1949年1月15日(当時の成人の日)からです。昔はインターネットもなく他県の自治体の行事を知ることは容易にできなかったため、自ら案を出し成人式を生み出した「成人式発祥の地」が複数誕生することとなりました。ですがどの地も、郷土を愛する人たちがその土地の発展を願って、新しく大人となる世代に大人の自覚を持たせることが由来となっているようです。

「成人」はなんで20歳からになったの?由来は今にはないアレだった!

青年訓練手帳

昔の日本では統一された大人の年齢の基準はなく、国が成人の日を定めるまでは各地域に引き継がれるしきたりに沿って成人の儀式を行っていました。そのため行事の内容はそれぞれ異なり、成人に伴い衣装や髪形を変えるタイプや、村の大人の集団に加入するタイプ、外泊や登山、お寺への参詣などをするタイプ、女性の場合は初めての月経を祝うタイプなどがありました。年齢は数え年で13~15歳頃を成人とするものが多かったようです。

その中で、現在のように日本全国で成人の年齢が満20歳となった由来は、1873年に制定された徴兵令でした。これにより満20歳が徴兵対象と決まったため、「20歳=近い将来に重い義務を担う存在」という意識が生まれ、「20歳からが一人前の成人である」という認識に繋がっていきました。ちなみに徴兵の年齢は当時のフランス民法を参考にして決定したようです。これにより1896年に制定された民法でも、満20歳を成年とするという旨の記載がなされました。

「成人の日」が1月の第2月曜日になった由来は?

「成人の日」が日本全国の祝日と決まったのは1948年のことです。戦後、日本はGHQの占領下で新しい祝祭日を決めることとなりました。当時行われた祝祭日に関する世論調査では、国民の関心は成人の日の制定にはほぼ向いておらず、代わりに11月23日の「新穀に感謝する日」に高い関心が集まっていました。この11月23日を由来とする祭日を残すためか、祝祭日の原案に「11月23日 成人の日・若人の日」が加わります。

それから修正され、一旦は1月3日が成人の日となりました。この日は戦前の祝祭日であった「元始祭」の日であり、成人の日の由来に相応しいとされたようです。しかしその後も何度か変更が加わり、最終的には「小正月」と言われる正月行事の締めくくりの日を由来とし、1月15日を成人の日とすることが決定しました。
色々と変更はありましたが、日本に元々ある祝祭日を由来として成人の日とすることで新成人を祝おうとしたようですね。
ちなみに現在のように成人の日が1月の第2月曜日となった由来は、2000年に施行された「ハッピーマンデー制度」です。祝日の一部を月曜日にして、土日と連続させ3連休とする法改正により、15日から第二月曜日に変更されました。

最初は不人気だった成人式…駅伝大会や餅つきもしていた!?

昭和の風景

今では毎年メディアで取り上げられSNSでも話題になる成人式ですが、成人の日が作られた当初は新成人の式への参加が浸透せず、各地方自治体は頭を悩ませることとなりました。
当時の日本は高校への進学率が45.6%であり、若者の半数は15歳になると既に就業や家事の手伝いをして大人と同じような生活をしていました。そのため国は成人の日の行事の参加者を新成人に限定しませんでした。成人式の内容は様々で、羽根つき大会、身体検査、餅つき大会、駅伝競走、貯金通帳の贈呈などが行われました。
成人式が賑わうようになったのは、1960年代に入って戦後のベビーブーム世代が青年となり、仕事のために農村部から都市部へ多くの若者が移動するようになったころです。この時期になると企業も社員のために成人式を行うようになりますが、内容は国歌斉唱や祝辞、新成人の代表者による成人の誓いなど、現在の成人式と似たものでした。

しかし1980年代になると再び成人式の参加率が下がり、日本古式の元服(成人の儀式)文化の再現や、晴れ着美人コンテスト、映画上映会などの目立つイベントが行われました。
現在では成人式の内容はどの地方自治体も似ていますが、毎年「荒れる新成人」が話題になり、新成人の奇抜な格好や迷惑行為をする姿が報道されますね。どの時代も新成人の関心を適度に引きつつ、式の由来通りに大人としての意識を引き締めてもらうのは簡単ではないようです。

昔は成人式の振袖はNGだった!?振袖が定着した由来

着物や帯

古くから大人になる通過儀礼と華美な衣装とは深い関係がありました。そのため昔から振袖を着て成人式の式典に参加する姿は見られましたが、振袖を準備できるか否かは各家庭の経済状況が大きく影響するため、1960~80年代前半頃は誰もが成人式に参加できるよう振袖の自粛呼びかけや禁止をする地域もありました。

岩手県金ヶ崎町では、振袖の準備のために農家では借金をする家庭もあることや、周囲が振袖姿ばかりで恥ずかしさのあまり中へ入れず帰った平服の人がいたこと、振袖を準備してもらえず自殺した人がいたことを当時の婦人会長が語り、成人式は夏に行われました。それだけ大きな問題だったので、誰もが簡素な服で気軽に成人式に参加できる状態を目指すことは地方自治体にとって重要なことでした。

ちなみに成人式の振袖が日本中で増加したのは1960年代の後半と言われています。それまではスーツや普段着、訪問着姿もよく見られました。振袖がプッシュされるようになった由来は、1940年代ごろから卒業式に母親が着る黒い羽織が売れなくなり、和服の業者が代わりに振袖の大衆化を目指したためではと言われています。
1978年に高等教育機関(大学、短大、専門学校)への進学率が5割を超え、1980年代になると新成人は仕事をしている人より在学している人の方が多くなります。こうなると成人式の時点では親から経済的に支援を受けている新成人が多く、成人式は「大人になる自覚を持つ儀式」よりも「同窓会」や「振袖を着る機会」としての役割の方が大きくなり、振袖文化がより強く根付きました。

現在では振袖のレンタルが一般的となり安価で用意できるようになりましたし、自分らしさを表現するために振袖以外の服装を選ぶ人も増えているため、以前ほど成人式の服装の簡素化を巡って議論されることはなくなりました。また「同級生に会う必要を感じないため成人式に行かない」という選択も共感されるようになりました。成人式は「同窓会」や「振袖を着る機会」としての役割も崩れかかっているのかもしれません。

成人式の由来は…大人になったことを祝い、大人としての自覚を持つための日!

成人の通過儀礼は昔から日本各地で行われていましたが、愛知県名古屋市や埼玉県蕨市、宮城県諸塚村などが自主的に現在の成人式の由来となる形式の式典を執り行うようになりました。また戦後に小正月を由来として1月15日が成人の日となります。それに伴い1949年1月15日から成人式が各地方自治体によって行われますが、当初はあまり新成人に浸透しておらず、式典の内容は試行錯誤されました。そして1960年代後半から成人式に振袖を着る風習が日本中に広まっていきました。

現在の成人式は同窓会や振袖を着るための日のように認識されがちですが、元々は新成人に大人としての意識を持ってもらうことを目的として作られた式典が成人式の由来だったようですね。確かに今の社会では、成熟した大人世代から新成人に対し、大人として必要な知識や意識について明確なメッセージを示せていないのかもしれません。「成人式に行かなくていい」という意見も、成人式に同窓会や振袖のお披露目以外の役割が期待されていないからこそ生まれるものです。大人側が新成人に何を伝えるべきなのかを改めて考えながら、成人式を由来通りの意義のあるものとして引き継いでいきたいですね。

参考:田中治彦,『成人式とは何か』,岩波ブックレット,2020

SNSでトレンドネイルデザイン配信中!
フォローお願いします◎